東京 イベント 会場の凄さ
ひとつは市場メカニズムの欠陥に関するもので、ここでは私は主として金融市場にもともと組み込まれているもろもろの不安定要因について論じたい。
もうひとつは、他にもっといい名前がみつからないので私が非市場部門(ノンマーヶット・セクター)と呼ばざるをえないものの欠陥についてである。
この非市場部門とは、具体的には国家的にも国際的にも共通する、主として政治の失敗と倫理的価値観の腐敗をさすものである。
はじめに断っておきたいが、私は政治の数々の失敗が市場メカニズムの失敗よりもはるかに邪悪で衰弱要因になっていると考えるものである。
市場メカニズムを通じて表現される個々の意思決定は、政治の世界でなされているような集団的な意思決定よりはるかに効率的である。
これはとりわけ国際的な舞台で言えることだ。
政治への幻滅が市場原理主義を育み、市場原理主義の台頭がこんどは政治の失敗を導くという過程をたどってきた。
グローバル資本主義システムの大きな欠点のひとつは、それが市場メカニズムと利益追求願望を、本来はそれらとはまったく関係のない活動分野にまで侵食することを許してしまったことにある。
私の批判論の第一部はグローバル資本主義システムに固有の不安定さに関するものである。
市場原理主義者は金融市場がどう機能するかについて基本的に誤った考え方をしている。
彼らは金融市場は均衡に向かう傾向があると信じている。
経済学の均衡理論は物理学との誤った相似性にもとづいたものである。
物体はだれがなにを考えるかに関係なく、その物体が動くがままに動くが、金融市場はある将来を予測しようとする。
その将来は人々が現在行う決定いかんで決まるものである。
金融市場は現実をただ受動的に映し出すのではなく、みずから積極的に現実を創り出すのであり、その現実はまた金融市場が映し出すものでもある。
そこには現在の決定と将来の事態の成り行きとの間に双方向に作用しあう関係があり、これを私は相互作用性(重一関言ご)と名付けている。
同じフィードバック・メカニズムは、関係事象を認識している人間が参画する他のすべての活動にも働いている。
人間はその置かれた環境での経済的、社会的、および政治的な諸要因に反応するが、物理学が扱う無生物の物体とは違って、みずからに働きかける諸要因を同時に変革しようとする認識と態度を備えている。
このように参加者が期待することと実際に起こることとの間に双方向論に作用する相関関係があるということが、すべての経済、政治、および社会現象を理解するうえでのカギなのである。
こうした相互作用性の概念こそ、本書が展開する議論の心臓部にあるといえ相互作用性は自然科学には欠けている。
自然科学では科学者の説明と彼らが説明しようとする現象との関係は一方交通にしかならないからである。
記述が事実と一致していればそれは真実であり、そうでなければ間違いである。
このようにして、科学者は知識を確立することができる。
しかし市場参加者は知識をもとに自分たちの決定を下す賛沢は許されない。
彼らは将来について判断を下さねばならず、自分がこれと思ってかけたバイアス(偏見)は結果を左右する。
こうした結果はまた、市場参加者が最初にかけたバイアスを強化したり、弱めたりするわけだ。
私は相互作用性の概念は、旧来の経済学が依拠している均衡の概念よりも、金融市場には(そして他の多くの経済、社会現象にも)適切なものであると主張するものである。
知識のかわりに、市場参加者はバイアスから出発する。
相互作用性はそのバイアスを是正する方向に働くことも、強化する方向に働くこともある。
是正する方向の場合は動きは均衡に向かい、強化の場合、市場は均衡とはまったくかけ離れた方向に動き、そもそもの出発点に回帰する気配はまったくなくなるのだが、とにかくそのいずれかである。
金融市場はブーム(暴騰)やバスト(暴落)を免れないものだが、これだけの証拠があるのに、経済理論がこうした現象の可能性を否定する均衡という概念にいまもって固執しているのはまことに驚くべきことというほかない。
不均衡の可能性は金融システムには固有のものである。
それは単に外生的ショックの結果ではない。
金融市場の行動が経済理論にしばしば反することの説明として外生的なショックをある種の都合のよい説明として使うのは、コペルニクス以前の天文学者が惑星の位置を説明するのに地球が太陽のまわりを回ることを受け入れず、天体の動きは神の力と天体を乗せる天球の動きによると、まことに都合のよい説明をしていたのと同じように思える。
相互作用性は少なくとも主流派の思想のなかでは、広く受け入れられた概念ではないので、その言わんとするところをすべて説明しようとすればとても数行の文章ではすむまい。
本書の第一部のほとんどを埋めてしまうだろう。
そこで第二部で、私はこの枠組みを使ってなんらかの実際的結論を引き出していきたい。
対象となるのは金融市場であり、世界経済であり、さらには国際政治、社会的結束、グローバル資本主義システムの全体的な不安定といった、もっと一般的な諸問題である。
私の第二の主な主張点はもっと複雑で、要約するのはもっと難しい。
私は市場メカニズムの失敗は私が社会の非市場部門と呼ぶものの失敗に比べればものの数ではないと信じている。
私が非市場部門というのは社会の集団的利益のことで、市場では表現のしょうがない社会的価値観といってもいい。
そうした集団的利益などというものはそもそも存在するのかと問う向きもある。
彼らによれば、社会は各個人から成り、各個人の利益は市場参加者としてのそれぞれの決定で最もうまく表現されるという。
たとえば、もし彼らが慈善家になりたいと思ったら、おカネを寄付することによっ論てその気持ちを表現できる。
このようにして、すべてが金銭的価値に還元できるというわけだ。
この考え方が間違っていることはいまさら言うまでもない。
世の中にはわれわれが個人的に決めることができるものがある一方、集団的にしか処理できないこともある。
一市場参加者として、私は私のもうけを最大限にしようとする。
一市民として、私は社会的価値、平和、正義、自由その他もろもろに関心をもっている。
こうした価値に対しては、私は一市場参加者としての表現方法をもたない。
たとえばわれわれは金融市場を支配しているルールを変えるべきだと考えてみよう。
私はこうしたルールを一方的に変えることはできない。
そのルールを自分にだけ課して他の人には課さないとしたら、それは市場での私自身の行動には影響が出てくるが、市場がどう動くかにはなんの影響も出てこないだろう。
いかなる単一の参加者も結果を左右するだけの力はもっていないはずだからである。
われわれはルールをつくることと、そうしたルールに従って行動することとをはっきり区別しなくてはならない。
ルールづくりには集団的決定、すなわち政治がからんでくる。
ルールにもとづく行動には個人の決定、すなわち市場での行動がからんでくる。
不幸なことに、この区別がほとんど守られていない。
人々はもっぱらそれぞれの財力を投票に使っているようで、自分たちの個人的利益に沿うような立法を目指してロビー活動をする。
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